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初めての始まり。

【前編】あなたはあなたの関係者ですか?現代アーティスト・中島隆誠が動かされた衝撃と強烈な出会い

現代アーティストの中島隆誠さん。コロナ禍の窮屈な高校生活の中で表現を開始し、高校中退後に現代アートの登竜門「GEISAI」で受賞。今年春には待望の第2回個展を開催する。

 

前編では、中島さんの高校時代の等身大の疑問から、芸術の可能性に目覚めた原体験、一対一のコミュニケーションについて。「世界やだれかと関係するためにこそ、自分が自分の関係者でいられるようにしたいと思う」と語る彼の“始まり”の4年間を語ってもらった。

INDEX

表現のきっかけは『自殺サークル』と『いいちこデザイン』の衝撃

最初に表現の道を選んだきっかけを教えてください。

ひとつのきっかけとなったのは、中学卒業と同時にグローバル・パンデミックに突入し、高校に行けなかった期間ですね。それは、単なるストップではなく、新しい“始まり”のストップだったので、宙に吊られたような感じで、かなり食らいました。それでその余白を埋めるように、なにか自分なりに打ち出さないといけないな、と思って。それが長引いて、今に至るまで格闘が続いているような感じです。

そのおよそ3ヶ月間、どのように過ごされていましたか?

映画を1日2-3本ぐらい見て、気を逸らしていましたね。それで、オススメに出てくるようないわゆる商業映画の類いは、いよいよ全部観てしまったな、というときに、『自殺サークル』という園子温監督の映画を見つけて。2002年日本公開の作品なので画質も古いし、観るものないなーと思いながら、怖いものみたさで観てみたら、あれまあ、度肝を抜かれちゃって。

映画の中で「あなたはあなたの関係者ですか?」という詩が挿入されていて。自分と世界との関係のわからなさを映画によってなんとも言えないまま呼び起こされた感じでした。パンデミックでいきなり自分ひとりがあらわになっていたとき、見逃そうとしていたかもしれない世界を正視させられた気がして、深く心を打たれました。続きとなる『紀子の食卓』も含めて、この映画が、わからなさに向き合う覚悟を決め、自分でも表現を模索していく原動力のひとつになりました。

 “
 あなたとあなたの関係は?
 あなたとわたしの関係はわかります
 あなたと奥さんとの関係わかります
 あなたとあなたのお子さんとの関係わかります
 ではあなたとあなたの関係は?
 いまあなたが死んでもあなたと関係ありますか
 いまあなたが死んでもあなたとあなたの奥さんの関係は消えません
 あなたとあなたのお子さまとの関係も消えません
 いまあなたが死んであなたとあなたの関係が消えますか
 あなたは生き残りますか
 あなたはあなたの関係者ですか
 ー 園子温(監督・脚本)、2002年、『自殺サークル』

衝撃を受けて終わりではなく、自らも表現しようと思い、動き出したのがすごいですね。

なにかを「感じて・動いた」というより、「動かされた」の1語というか、直感的に神経を走った感じでした。躊躇する間はありませんでした。

もうひとつ、衝撃を受けたといえば、高校が再開して、不自由さに苛立ちながら、ボーッと電車通学していた井の頭線のプラットホームに駅内広告ポスターとしてあった「いいちこ」ブランドのアートディレクションです。世界中の自然風景に1フレーズのコピーと小さく添えられた焼酎瓶…というデザインで、それが毎月変わるんです。なんかすごく惹かれてしまい、毎回勇気づけられている感じもしました。

そこで調べてみて、河北秀也さんというアートディレクターが手がけていることを知り、すぐに河北さんのご著書『デザイン原論』を買って読みました。ふつう広告戦略の軸は、インパクトを与えたり、商品自体についての説明をしたりするものだと思いますけど、河北さんは、商品をある風景の一部のように仕立て、その風景の多様性やめくりめく場面によって、季節や人々の生活に寄り添うやさしい「イメージ」を作り上げていくんです。僕は、いいちこを飲んだことがないし、どんな味かも知らないけど、ポスターやCMを見てきて、人の一生を想像するように、いいちこの「酔い」の感覚もわかる気さえしてしまう。それを長期的に仕込んできたのが、この人か!と。人生に根付くような比類なきイメージ作りに衝撃を受けました。昨年は、大分県立美術館の『イメージの力 河北秀也のiichiko design』も拝見しに行ってきました。

この2つの出会いが大きなきっかけで、世の中に「表現の術」が存在するんだ、ということをより強く意識するようになりました。

教室という空間性への疑問と外に出る意志。「世界やだれかと関係するためにこそ、自分が自分の関係者でいられるように」

表現したいと思い、最初に起こしたアクションは何ですか?

先生に突っかかることですかね(笑)。僕が通っていたのは都立の進学校で、昔から自由だと言われていて、学生運動とかも激しかったそうです。でも、いざ入ってみると、パンデミックもありましたし、みんながすっかり制圧されてしまっていることにギャップを感じ、日々疑問を感じて。わざわざ反抗的な態度を取って、常識を叩いてみて、身近な大人がそれにどう反応するのか試してみるみたいなタチの悪い劣等生ですね。次第にそれは疎外感になっていきました。

具体的にどんなことに疑問を感じていたんですか?

たとえば、英語の授業は外国人の先生がやってくるんですけど、彼は10年間日本にいて合気道が趣味ということだったので、あなたは日本語も喋れるのか?と聞いたことがあったんです。…それが全然喋れませんでした。英語は特権的な言語なので喋れないはマズいけど、日本にいて、日本語が喋れないのはマズくないのか?と思うと、彼はすぐさま「オイラは何年もずっと東京のトップクラスの高校で教えているけど、こんなに英語を学ぼうとしない生徒は見たことがない。クラスから出ていけ!(英文)」と怒鳴りました。今思うと歪みが生じるのは当然ですが、「異言語を学ぶ空間なのに、なぜその教室においての言語を守らないと“排除”されてしまうのか」と思いました。もちろん英語の授業だから、といってしまえばおわりなんですが、であるならば、英語の授業という枠組みについてを改めて考えてみたかったわけです。後日、英語で謝罪文を書かされました。

それに、化学の授業とかでも、てくてくと教室に入ってくるやいなや、これだけやっていたらOKというようなプリント課題を配ったあと、黒板に教科書の化学式を書きまくって帰っていく先生がいました。そのプリントは提出しないと留年という代物で、でも、化学は受験で使わない場合もあるし、ほとんどの学生にとっては大なり小なり負担になっていて。この先生は、教室を行ったり来たりして、プリントを配り、黒板に式を写して去る、という一連の仕事を全うしているだけなのに、学生からするとそれが自分の人生にとってムダなノイズになっているな、と思って、先生の仕事が学生に害を与えるというのはふしぎだな、と。それは仕方がない、と片付けてしまえばおわりですが、それが気になってしまうのは、教室にいながら、教室の外に視点があったからだと思います。

どうして「教室」という箱の中では、いつも入れ違いの状況が生まれるんだろうと考えていたときに、俯瞰してみてみると、「公の機関の稼働に適合して仕事をする先生」と「大学や高等学校といった教育機関のカリキュラムに適合して勉強をする学生」がいて、どちらも第三者の機関の動きに依存して自らの動きを決定している。それが個々人と一致すれば一応は御の字だけれど、大抵は別々の運動が無理やりにでも「教室」を経由して、みんな衝突事故が起きないように便宜を図る。そうするとみんな同じ動きになる。「教室」という空間は、常に僕たちに僕たちなりの動きではなく、機関の代理人としての動きを求めます。だから、そもそも一対一のコミュニケーションなんか成立するはずがないんです。一対一の対話を持ちかけようとすれば、おかしい人になってしまって、外に追い出されちゃうわけです。とはいえ、当時の自分のふるまいはまじめにやっている人に対しては迷惑で、人に問いかけたりすることで巻き込んでしまう申し訳なさもあって、出て行かないといけないな、とも思いました。でも、いずれはその教室の中にいて同時代を生きていくみんなにも自分の表現の成果をイイね、と言ってもらえるように頑張りたいと今は思っています。

学生と先生という役割である以上、教室の中で一対一の関係は、成り立たなかったということですね。

外の視点からそのギャップを見ていたわけなんですが、いよいよ身の置き場もなくなってきて、外に身を投げてみようと、2年生のおわりに高校を中退することを決めました。いざ退学すると自分を下支えていた第三者機関がなくなって、文字どおりドロップアウトしていくわけなんですが、そのとき、「あなたはあなたの関係者ですか?」というさっきの問いかけが、自分の中でより強く反響してきたんです。自分が、自分の立ち位置を認める関係者になる、という迷宮めいたことについて、考えざるをえなくなって、半年くらいは精神的に参ってしまいました。それでも、ついに箱から出て、これから一対一で世界やだれかと関わりたいと思っているとき、そのために自分が自分の関係者でいよう、と思ったんです。

そして、その時期に強迫的に文章を書いていて、4作品の小説に仕上げて、文芸誌のコンペに送りました。でも、全部1次審査すら通らずで、どうも「1次関門」と割が合わないということを学習しました。ダメだなーと思っていたら、GEISAIという現代アートの祭典が8年ぶりに再開するというニュースを見つけて。だれでも1万円を払えばブースを借りられて、表現の形態に制限も少なかったので参加しました。

どんな作品を展示したんですか?

それまで自分が立っていたところからドロップアウトしていくうなだれた姿勢にも、足元から再び立ち上がっていく空間の兆しがある!という気持ちで表現に覚醒していく自分の状況に基づいて、ウェブ作品やブンタくんというキャラクターを設計し、それぞれ3DプリンターでQRコードとフィギュアとして出力してブースの真ん中にポツンと置きました。会場では来る人来る人にラップみたいな感じで作品の背景やコンセプト、考えていることなどを話しました。審査員だったアーティストのタカノ綾さんが一対一でなん十分も話を聞いてくださり、そこでちゃんと伝わったという感触がありました。

 

GEISAIのあと、すぐに受賞者展ということで、Hidari Zingaroというギャラリーで初個展『I am home (super platform)』を開催させていただきました。個展ではさまざまな人と話をすることができ、やっぱりコミュニケーションできているな、と感じました。

 

受験戦争だったり、小説のコンペだったり、1次選考、2次選考など門番がたくさん居て、第三者機関を通過して評価されていくものは、自分に合わず、反対に、一対一のガチンコで話し込んで、体をなしているかどうかをチェックするのではなく、本当の言葉かどうかみたいな世界が合っているな、と思いました。文章を書くことにしても、結局僕にとってそれはこれまでもこれからも呼吸と同じくらい必然的なもので、生きた言葉との対話だから、ずっと続けてしまっていますね。

あるいは勉強の仕方にしても、わざわざ便宜的な箱を経由することなく、作家の方や大学の先生とDMでやりとりしたり、展覧会やイベントに出向いて直接話したりすることが自分のやり方になっています。

仕組みの違いも、自分に合う世界も、自分と向き合ってこそ見えてきたんですね。

そうですね。外へ向かう意志が逆に自分に向き合わせる、という感じです。なにが正しいというのではなく、性格や方法の問題で、それぞれが自分にとっての方向に乗り出していき、衝突事故を起こすぐらいが、ちょうどイイんじゃないでしょうか。そういう出会いを僕は信じています。

さっきの英語の先生の話も、もし学校の中ではなく、街中で彼に出会って、「ハロー」と挨拶し、「私の趣味は合気道だよ」「合気道イイね。僕も剣道をやっていてさ、日本の武道ってイイよね。ちなみに日本語話せないの?日本語もしっかりわかった方が武道の歴史や精神性とかをもっとよく知れるよ」「YouTubeで日本語勉強してみるよ」みたいな話を一対一でしていれば、なにかもっとあったかもしれない。

僕は特に現代アートをやりたいという入り方ではなくて、純粋に一対一で対話することがしたかったんだと思います。それがたまたまGEISAIで発揮されて、それがたまたま現代アートだったから、現代アートをやりたいなと思っています。もしそれがデザインフェスタだったら多分また別のことをしているかもしれません。

芸術の可能性に目覚めた原体験。黒田征太郎さんとの強烈な出会い

GEISAI以降、大きく心が動いた瞬間やターニングポイントがあれば教えてください。

イラストレーターの黒田征太郎さんとの出会いです。

田川市美術館(福岡)が主催するタガワアートビエンナーレに送っていた作品が黒田征太郎さんの主な推しによって準大賞に選出されたということで、202212月に、その授賞式で、黒田さんと初めてお会いしました。

その作品は、ちょうどGEISAIの時期に描いたもので、そのとき、自分にとって、絵を描くということは、いろんなことを片っ端から活字や絵の具の色にして、それを書き殴って放出するという、すべてに対して、やってらんねえよ、という気持ちをぶつけるものでした。そうやって、いろんなことを紙面に重ねていくと、せっかくの文字や色合いも、だんだん黒々としてくるじゃないですか。それに対して、また、結局は闇になる!みたいな、怒りを覚えて。怒って表現して、その表現にまた怒って、みたいな状況だったんです。まさに堂々めぐりの青年の葛藤という感じで。

 〈タガワアートビエンナーレでの受賞作品〉

そういうような、絵にしていったいどうなるんだ、という気持ちだった自分の前に黒田さんがやってきて、握手をして、「言いたいことあるんやろ、気持ちわかるよ」「描くの好きなんでしょ。思う存分描けばイイじゃない!」と言葉をかけてくださって。その黒田さんとの出会いで、自分の中のカオスが吹っ切れたというか、一気に澄んだ感じがあったんです。17歳のワーッという熱りが、「黒田征太郎」という歴史を前にして、表現の向こうには、もっとでっかくて、持続的ななにかがあるんだ、と励まされた瞬間でした。もやもやしても、どうなるかわからないけど、やることをやれば、大丈夫だ!という感じで。黒田さんの姿を、自分がみていることこそが、表現の勝利のように思えて、うれしくて、涙から鼻水から、もう全部が出るだけ出ました。本当に芸術の原体験でした。田川市は炭鉱地帯で有名なんですが、帰りの汽車で、その炭の微かな匂いを漂わせる風にあたりながら、よし俺は死ぬまで表現を続けていこう、と思いました。

中島さんのInstagramに載っていた授賞式の動画からも、その様子が伝わってきて、心揺さぶられました。

 
 
 
 
 
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授賞式の後日、門司港の廃病院を改装した黒田さんのアトリエに招いていただき、いろいろな話をして、『二都物語』や絵本をもらったり。202312月に、もういちどアトリエに行かせてもらえませんかと連絡し、1年越しに黒田さんに会いに行きました。東京から真っ白な状態の横長5mのキャンバスを巻いたものを担いで新幹線に乗って。それをアトリエの2階に広げて6時間ぐらい滞在して、絵を描きました。黒田さんも1階で延々と絵を描いていました。

 

この絵ですね。どんな意味があるのでしょうか。

こういう絵です、というのは考えていないんですが、黒田さんに宛てた手紙のようなものかもしれないですね。黒田さんも、高校時代、汽車に乗って通学していて、あるとき「この取っ手をずっと握り続けたら、終着駅に着いて、そしたら家出ができる」と思ったそうなんです。でも、怖くて手を離してしまって、結局、学校と家を往復する。あるとき、ふと気づいたら終着駅に着いていて、そのまま家出して高校も中退。そこからの人生は電車も線路もありません。米軍貨物船の乗組員という職業に滑り込んで、日々を過ごしていくんです。戦争の瞬間、その環境にいて、壮絶な体験をされたと想像しますが、それから自然の美しさに出会い、日々を過ごすことの喜びや愛情を享受して、それを絵に描いていくのだと思います。でっかい自然から断片的な人間が借りることのできる記憶、それが絵を描くことだと思います。

そうして、僕が黒田征太郎さんと出会うことで、「イエーイ!」という気持ちが共鳴する。それは素晴らしいことだと思いました。死滅しても、そのあとも忘れ去ることなく、記憶したいと強く思うこと、あえて自分自身で記憶を抱えるということ、それはかなしみを伴うことだと思います。それでも、あえて残すべき記憶を、少なくとも僕は僕の記憶の中で生かそうと思います。そういう意思の引き継ぎによって、いわゆる戦争の勝者が書き残す歴史みたいなものとは別に市井の命の歴史があるのかもしれません。

そういう風に、人を殺すことで生き残る歴史ではなくて、やさしさのバトンタッチによって生き残るもの、それが僕の目指す芸術の歴史です。そして、その歴史の感触、バトンタッチの温かい温度を、黒田征太郎さんとの出会いによってブワーッとわかったんです。

この絵をみてどう思われましたか?抽象的な絵、ぐちゃぐちゃの絵。でも、これは僕にとってもっとも強く説得力のある絵だ、ということも理解していただけると思います。たとえば、戦闘や殺戮の結果によって理解させるとか、そういう方がわかりやすいですが、それを否定し、なんでもない絵空事を説得させる、そんな術が芸術だと、僕は思いますし、その方がイイような気がするわけです。

なるほど。中島さんの作品も、そういう風な歴史に残っていくとイイなと思いますか?

残したいという気持ちはありますけど、作品の多くは宛てのない手紙のようなもので、本当にだれに届くかわからない。いつかもわからない。次の世代ぐらいが発見して継承するかもしれないし。やり続けるかどうかということもあると思っています。でも、その可能性を僕は体験したので、信じています。

第三者を介在せず、やることをやる。だからイイ作品になる

今はフリーで活動されているのでしょうか。

そうですね。アトリエ用の賃貸を借りて拠点にしています。最近は自分の打ち出すものの強度を検証している感じですね。そして、次の個展では、それを発表するつもりです。

保証してくれるものがない分、自分から積極的に動いていく必要がありそうですね。

そうですね。この前の話でいうと、博多-天神をつなぐ日本最大の「クリスマスアドベント」を主催するサエキジャパンと伊勢丹立川とがタッグを組んだアートイベントに参加したんですが、素直に自分の思いを語っていくということの大切さを改めて感じました。

100人の作家がそれぞれクリスマスをテーマにした作品を出し、限られたスペースですべてを展示するのというものだったんですが、当然のように小さめの作品が多いところ、僕は1.5m四方の大きい作品を出して。壁1枚に1作品で展示していただき、フィギュアを置いたりすることもできました。100人という企画の趣旨や運営としてはやりにくかったと思いますが、受け入れてくださいました。

基本的にアーティストはこういう催しでは作品を発送するだけだと思いますが、僕はできるだけ現場に行って、立ち止まってくれた方に「これはこうで!」と、2週間の会期中、できるだけずっと喋り続けました。そういうお客さんとのコミュニケーションによって新たな気づきも得られました。ブンタくんのフィギュアは、そうした思いのやりとりの過程でコツコツと30体迎えていだきました。うれしいです。

 

すごいですね。一対一のコミュニケーションの手応えを、更に感じる場になったと想像します。

はい。そうして店頭で話しかけていたとき、たまたま伊勢丹立川の北川店長とサエキジャパンの佐伯岳大さんのお2人に出会い、いろいろお話しをさせてもらって、このアートイベントは、世界に誇る福岡のクリスマスマーケットの10年の歩みの先に、立川の街にも、伊勢丹立川と協働で新たな道を展開していく、というようなビックなビジョンに向けて開催されたということでした。そして、僕の行動に対して、佐伯さんが、自分ごととして向き合っている仕事だからこそ並々ならぬ原動力や楽しさがあるしチャンスが広がる、というようなことをおっしゃってくださり、なるほどな、と自分のやり方を育定されたような気持ちになり、励まされました。後日、博多で再会して、クリスマスマーケットを案内してくださり、光の帯が街全体をつなげていく感動を身体で感じることができました。

中島さんはどのような考え方で作品を準備したのでしょうか。

アートにしても、イベントの会場やギャラリーといった「展示空間」があります。それはある意味で学校の「教室」のようなものかもしれません。たとえば百貨店ならば、それなりの空間性があります。でも、僕はその仲介地点に自分の絵を置くという意識ではなくて、常に自分が表現したいものに向けて新たに立ち上げ、そこに展示空間や鑑賞者がクロスしていくというような考え方でやっています。構造の内を通るのではなくて、その外に構造を作って、2つの構造を通る道を敷く感じです。

立川伊勢丹の北川店長や佐伯さんにとって、このアートイベントは、大きなビジョンを見据えた自分ごとのプロジェクトであるように、僕もそこに置くだけのオブジェではなく、自分がみようとしているビジョンやその領域への構想を共有しひとつの交差点広場へ一致させるような努力をして、作品を作ろうという気持ちでやっているんです。僭越な態度に映ることもあると思うんですが、一対一の対話を可能にしてこそ新しい領域が開拓されていく実感があるんです。

第三者委員会的なところを経由した関係を取っ払って、やることをやる。教室にしろ、アートの展示空間にしろ、常に一対一の出会いと対話の実現のために、自分と向き合っていて、だからこそ、作品もイイものになると思っています。

切実な経験と出会いを重ねながら、表現を続ける中島さん。社会の構造に対する疑問やネガティブな感情とも対峙し、それでも自分の道を切り開く彼は、アーティストとして・人として強烈な存在感を放つ。後編では、中島さんが今探求していることや、自分と世界のこれからについて話を聞いてみる。

後編はこちら。
『だれの認証も必要としないもの。中島隆誠が語る自己言及の秘める力「“忌まわしさ”はあるとき世界のトキメキになる』

個展情報

中島隆誠個展『hybrid newborns became absent kids (spring)』
日時:4月3日~14日 11:00~19:00
場所:ありかHole(東中野ポレポレ坐ビル7階)
http://polepoletimes.jp/times/arikahole/

アーティスト
中島隆誠(なかじま・りゅうせい)

2004年生まれ。2022年8月、GEISAI#21(東京ビックサイト)タカノ綾賞、同年10月初個展「Iam home (super platform)」を開催(Hidari Zingaro)、12月第3回タガワアートビエンナーレ英展準大賞。NFTアートプロジェクト進行中。2024年4月、2度目の個展を開催予定。

HP: ryuseinakajima.com
Instagram:@ryusei_nakajima
X(旧Twitter):@ryusei_nakajima

CREDIT

photo:Nanako Araie
edit&text:Hinako Masuyama

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