今月の写真
2025.02.25
『春を迎える』圓井誓太

春は、やわらかい日差しと共に訪れる。冬の間、硬く閉ざされていたつぼみがふくらみ、やがて淡い桜色の花を咲かせる。どこかに出かけたくなるような気持ちよさが街全体を包み込み、人々の表情にも、どこか軽やかな雰囲気が宿る。




それでも、たとえば桜の花が風に舞うのを見ていると、心の奥にわずかな痛みを感じる。咲いたばかりの花が、あっという間に散ってしまうことを知っているからだろうか。あるいは、春の光があまりにも優しすぎて、それがかえって現実とわずかなズレを生むからかもしれない。


春は、すべてを新しく塗り替え、これまでの季節を押し流してしまう。雪が解け、世界が色を取り戻すと、冬の間に積み重ねた思い出や慣れ親しんだ景色は、淡く遠のいていく。昨日までの空気が、今日からはもう違うものになってしまうことに、私は少し戸惑うのだ。

けれど、春の光は過去の気配を引き寄せる。ある日ふと、懐かしい匂いがして、昔の記憶がよみがえることがある。満開の桜の下で笑っていた誰かの姿や、春の風とともに届いた声の響き。もう届かないはずの記憶が、ぼんやりとした輪郭のまま、すぐそばにあるような気がする。


春になると、街は新しい人々であふれる。新しい生活が始まり、駅のホームには慣れないスーツを着た若者が並び、引っ越しを終えたばかりの部屋には、まだ知らない風が吹き込む。けれど、それは同時に、多くの別れがあったことも意味している。出発を祝う人がいれば、静かに去っていく人もいる。春は、始まりと終わりが同じ場所に存在している季節なのだ。


柔らかな風が頬をなでるたびに、それまでの時間が確かに過ぎ去ったことを思い知らされる。けれど、その悲しさは決して悪いものではない。ただ、季節がめぐるたびに、新しい何かが生まれ、そして消えていくことを、そっと教えてくれるだけなのだ。今年もまた、そんな春がやってくる。
