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『手』〈井上 ユリ〉

幼い頃の幻が消えていくのを感じる。

この夏、祖父が死んだ。 もうこの家に戻ることはないのだろう、と咄嗟に思った。

葬式が終わって人間がいなくなって、やらなければいけない事務的なことを進めている母を横目に、私は妄想で壁を建てた。

私が東京からこの家に戻るのはどうだろう。 ずいぶんと山奥だが、また祖母と住んで、畑と犬と、仕事はできればべつになんでもいい。探せばきっとあるはず。

捨てることも、思い返さないでいることにも、慣れてきたように思っていたのだが、そんな簡単にはいかないことがあると知る。 祖父がいなくなって、母と私、祖母、のバランスが家族4人からじわじわと変わってきていることに少し涙がでてしまう。 私は家族4人でいることが好きだったんだな。 ふと、祖父がいつも酔っぱらうと私の方までやってきて、頭に手を置いてぐいっと撫でてくれる仕草を思い出す。少し痛くて嫌だった。

ここで暮らし直すことが無理なわけでは決してないが、今を全て捨てる勇気を出すには恋人にこっ酷く振られるだとか、そういう打破の仕方しか想像しかできない。 結局、そんなことはしないし、できないというところにおさめていく。

そういえば最後に祖父に会ったとき、バイバイと言った私に、手を振り返してくれた。 その手を見て、次帰ってきたら手を撮ろうと思っていたのだった。間に合わなかった。 あり触れた後悔であるが、この瞬間を大切に、なんて言いたくない。

私の撮りこぼしたその1秒が、あの家で過ごした日々、そのきらめき、ときめきが、さらさらと消えていくのを感じる。

夏の暑い日、涼しかった祖父母の寝室でよく2人に挟まれて眠ったときに聞いたでたらめな子守唄も 祖母の足の赤いマニキュアも、朝ご飯の醤油の焦げた匂いも、洗面所の丸い鏡も、山の上の小さな駅の踏切の音も そういえば坂の上の花屋には、奥に温室があってうさぎが放し飼いされていて、広いように感じたその温室の緑から見える丸い目も 水族館と誰もいない一番大きな水槽の私への光の反射 とか

全部が消えていく予感がする。 全部が消えて、私の中にある幻となってしまう、予感がする。

私が撮りきれなかったものが、消えていくとするならば、祖父の手も消えるのだろうか。 私はどこまで、私のきらめきを綺麗に残していくのだろうか。

大きな荷物を持って来た駅まで恋人がお見送りをしてくれた。 じゃあね、と向き直したとき頭の上にぐいっと手を置いて、じゃあ、と言いながら頭を撫でられる。

私はこの手を、どこまで、と考えて 電車に乗った。

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PROFILE

フォトグラファー

井上 ユリ

1996年 神戸市出身。京都造形芸術大学卒業後、フォトグラファーとしての活動を開始。現在までポートレート主にそのほかライブや広告など様々な撮影を行っている。


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