連載|すこし、遠回りをしていくから
2024.05.20
vol.16 - 光のモンタージュ -〈勝呂亮伍〉
余白の残るものが好きだ、と改めて思う。
生活も写真もそのほかの物事についても。
少し前に『光のモンタージュ』という演劇と音楽ライブを組み合わせた公演に写真と映像として入った。
境界が曖昧になる、不思議な感覚が残る作品だった。
台詞という台詞は少なく、ボードゲームをしながら自然に出てくる言葉を話し、その横で誰かが歌を歌う。
ひとりは部屋の隅にあるキッチンで料理をしながら、ひとりは編み物をしながら、ひとりは本を読みながら、歌を歌ったり歌わなかったりする。
どこからが決められたことで、どこからが決められていないことなのだろう。
公演のなかで、ひとつのお題をもとに、それぞれがそのことについて話をするというものがあった。お題はその場で発表され、誰かがおもむろにそのことについて話す。そして、その次の誰かは、その話を自身の身に起きたことのように話し、そのあとに「本当の自分の話」をする。
話されていたことが、「他者」を通すことで次第に曖昧になっていく。
反復される「記憶」は、他者の声色、間、選択される言葉たちにより次第に輪郭が溶けていく。
自分だけが経験した「記憶」は、経験し得なかった他者の「記憶」と混ざり、大きな塊となる。きっとそれこそが「光」なのだろう。
写真は、どこまでいっても結局は「光」だ。
「光」を定着させ、化学反応により像を浮かび上がらせる。そして、それは「記憶」と密接に関係している。
私が写真でやりたかったことのひとつを、彼女は演劇というもので表現していて、この作品に関われたことが、なんだかとても嬉しい。