今月のイラスト
2023.12.11
COZY CONER『10:30、窓を開けるとき』〈ヤマグチナナコ〉
AM10:30、「は~い、みんな行きますよ~」という大人の声とともに、道の向こうから子どもたちの元気な声が近づいてくる。慌ててボサボサの髪を撫でつけ、万が一見られても恥ずかしい格好じゃないか確認。一緒に暮らすネコもピンと耳を立て、道を歩く子どもたちを眺めに窓へ。私は彼らからなるべく見えない場所に座って、青い帽子がぴょこぴょこ動くのを眺めながらゆっくりお茶を飲む。よかった、今日もみんな元気そう。
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いま住んでいる三鷹市のあるエリアは、古くからの地主や長らくここに住まう高齢者が多く、本当に静かだ。道路の音や電車の音がひっきりなしに聞こえる団地で育った自分にとっては、いささか静かすぎるようにも思う。とはいえ静寂である弊害ってほとんどないわけで、野良猫の喧嘩ぐらいしか事件めいたものはない、静かでゆったりとした空気に私は日々癒されている。
そんなこの街で、唯一賑やかなのがこのAM10:30前後。道の向こうからやってきて、家の前を通り過ぎ、角を曲がるまでのあいだ、彼らのおしゃべりは一瞬たりとも静まらない。「はな咲いてるねえ!」「あのさあのさ」「せんせー」「ねこ!」「えーん」などなどなど…特撮のマネをしている子、喋り続ける子、すぐ立ち止まる子、泣いている子。元気玉をぶつけあうような子どもたちのエネルギーが道中に満ち満ちて、たとえ曇りの日でも、その間だけはパッと晴れるような気がする(本当は雨の日には散歩しないだけ)。縁もゆかりもない幼稚園だけれど、決まった時間に現れる騒がしい行列に「今日も元気だなあ」と安心して、少しだけ幸せな気持ちになる。
そして不思議なもので、そんな日々が続くと、日に日に「彼らにもっと楽しんでほしい」という気持ちすら湧いてくる。何にでも大きな声で反応してくれる子どもたちにのリアクションが欲しくなってくる、というか。びっくりさせたい、お気に入りのスポットになりたい、みたいな欲もある。
私の場合は子どもたちにネコを見せてあげようと(そしてネコに子どもたちを見せてあげようと)、彼らが通る道に面した窓をネコのサイズだけ開けておくようにしている。そうすると「あ!ネコ~」と見つけてくれたり、むしろ窓際にいないときは「今日はいないねえ」と変化に気付いてくれるのだ。それを聴くと思わず「うちのネコかわいいでしょう!」と窓越しに話しかけたくなるけれど、それは一旦我慢。静かにネコを撫でながら「かわいいってさ〜」と話しかけながら道路のほうを見つめる。
この「彼らに楽しんでほしい」欲求はどうやら我が家以外にもあるようで、一番熱心(だと勝手に思っている)のはお隣だ。このお家は、季節ごとにフェンスを飾っている。単にシーズニングのデコレーションが好きなのかな?と途中までは思っていたけれど、飾りに対するこだわりはなさそうなので、どうやら興味はそっちではない(推測)。ラインナップはクリスマスやハロウィンだけでなく、節分には鬼のお面、春は桜、子どもの日には鯉のぼり、夏はスイカ…まさしく幼稚園の掲示物のような数々。おまけに季節行事ごとにきっちり飾りが入れ替わるのだから、これは確実に確信犯だと確信している。きっと、飾り付けを変えては「子どもたちは気づくかな…」なんてワクワクしながら洗濯物を畳んでいるに違いない。ちなみに、かくいう私もこの飾りを見て「あ、もうすぐ節分なんだ」「あ、中秋の名月なんだ」なんて季節行事に気付かせてもらっている。
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10:30過ぎに彼らが通ったあとには、通り一体に優しくてあったかい空気が充満する。この優しくてあったかい空気は、彼らの声を聞いて家の中で微笑んでいるご近所さんたちから発せられている…と私は勝手に思っている。昼近くなった家で家事をしている人や、ゆっくりしているおじいちゃんおばあちゃん、そして起き抜けの個人事業主の私。家で誰と話すでもなく日々のルーティンを回している人たちにとって、子どもたちの声は時報にもなっている。もうこんな時間か、今日も元気だなあと少しだけ微笑むとき、通りのあったかい空気が笑い皺から漏れ出て、再び静かになった道に充満するというか。
一方で彼女彼らがすでに朝の会を終わらせ、散歩に出掛けているというのに、大の大人である私はまだ布団の中…みたいなこともままある。なんだかバツが悪いから、最近はなるべく彼らの散歩よりも早く活動を始めるようにしている。子どもたちが家の前を通るのは本当に一瞬だけれど、そのときに「もう10:30過ぎなのに寝癖でパジャマの人」が見えたりしたら大変だ。
いや別にいいんだろうけれど、彼らは本当によく通る声で喋っているから「あの人パジャマだねえ!」という言葉が通り中に響き渡るのはさすがに恥ずかしい。何の変哲もない、可愛い三毛ネコAとそのネコと暮らす人物Bくらいの薄さになれるように今日も存在を消しながら、賑やかで愉快な行列の声が遠くなるまでをゆっくり聴いている。